養豚の歴史
 
野生のイノシシから豚へ日本の養豚の歴史1日本の養豚の歴史2日本の養豚の歴史3

急激な成長を遂げる明治・大正時代の養豚産業
 江戸から明治に改まると、政府の重職である大久保利通は、国内における産業の振興をはかり、二つの大きな目的を定めました。そのひとつが畜産の振興であり、畜産物の消費を伸ばし、欧米諸国に負けない体躯に改善し、富国強兵策の足がかかりとしたのです。
 そして明治5年には内藤新宿(現在の新宿御苑)に観察寮出張所が政府により設置され、そこに外国産の作物や家畜を導入し、養豚については、政府の雇った外国人H・ホールの指導のもと、わが国で初めて西欧の豚の飼育法を取り入れた養豚が始められました。その後、各地にある政府の試験場などにも西欧の技術を取り入れた養豚が広まっていきました。また、当時導入された品種は米国産チェスターホワイト、英国産サフォーク、バークシャーなどでした。
 このような公的な機関で生産された子豚が、やがて民間に払い下げられていき、養豚は全国各地に広がっていきました。
 明治の後半には、日清、日露戦争がおこり、軍の食料として豚肉の需要は急速に高まるとともに、養豚産業も活性化していきました。
 明治から大正にかけて多く飼養されていたのはバークシャー、中ヨークシャー種でした。その理由について明治、大正の畜産界の指導者石崎芳吉氏は、「2品種の原産国である英国と当時の日本の飼養環境、エサ事情などが似通っており、日本で飼養する事に適していた」と述べています。また、当時の豚のエサは、現在のようなトウモロコシ等を主原料とした配合飼料ではなく、食品産業から出る廃棄物や家庭から出る食物残さが多かったので、養豚が盛んになったのは、食品産業が盛んな地域や食物残さが多く出る都市部でした。そして、豚肉の食べ方についても現在のように焼肉やトンカツではなく、ベーコンやハム、缶詰など加工食品として主に食べられていました。
 トンカツの登場は大正9〜10年ごろの浅草の大衆食堂あたりからだとされており、もともとは長崎(南蛮)料理から普及したものと考えられています。

第2次世界大戦と戦後からの復興
 昭和に入ると、ただ単に養豚を奨励するだけではなく、耕地に家畜の排せつしたふん尿を厩肥として還元する有畜農業が奨励され、施設や器具の設置にたいしても政府から奨励金が交付されるようになりました。このような背景もあって、昭和14年には戦前最高の115万頭近い頭数が国内で飼育されていました。
 さらに第2次世界大戦を契機に、食料の増産策が国をあげて強力に進められるなか養豚も急成長をしたものの、戦争が長引くにつれて食糧難と飼料事情の悪化から養豚は一気に衰退し、敗戦直後の全国の飼養頭数は8万頭強まで減少してしまいました。
 その後、食料事情が好転し、食生活が洋風化してくるにつれ、養豚が再び注目され、徐々に復興をしてきました。
 また品種においても、昭和35年にアメリカより援助物資として欧米原産の大型品種が導入され、在来の中ヨークシャー、バークシャーとの交雑により肉豚生産が行われるようになりました。しばらくすると、ランドレース、大ヨークシャー等の大型種の発育や繁殖能力の良さが次第に注目を集め、従来飼養されていた中型種の中ヨークシャー、バークシャーに取って代わるようになってきました。またこの背景には、飼料事情が好転し、栄養価の高い飼料が米国から入り、急速に普及していったこともあります。

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